これがアダムスキーが出会った金星人なのか!? |
詳細
1954年8月7〜8日にかけてアメリカのパロマー山頂で開催された、ジョージ・アダムスキー、トルーマン・ベツルム(Truman Bethurum/クラリオン星人とコンタクトしているという)、ダニエル・フライという有名なコンタクティ3人による、大規模なUFO会議が開催され、参加者は1000人を超えた。アダムスキーは初日の講演の中で、自分が出会ったという美しい金星人男性オーソン(Orthon)のことを、彼の姿を描いた絵を掲げて紹介する。
その日の終わりにある聴衆が、同じ聴衆の中にエキゾチックな姿をした女性と男性2人がいることに気がついた。3人は白人で、女性はブロンドの長い髪に白人では珍しい黒い目をしていたので非常に目立った。その容姿からアダムスキーが話していた金星人ではないかと周囲が騒ぎ出した。
ドロレス・バリオス FORGETOMORIより |
FORGETOMORIより |
「あなたは金星人ですか?」
「いいえ(笑)」
「なぜここにいるんですか?」
「私達はこの話題に興味があるからです」
「空飛ぶ円盤を信じますか?」
「ええ」
「アダムスキーが言うように、彼らが金星から来たというのは本当でしょうか?」
「ええ、彼らは金星から来ました」
聴衆の一人、ブラジル人ジャーナリストのジョアン・マーティンズ(João Martins)が彼女達にインタビューしたところ、3人ともカリフォルニア州マンハッタンビーチ(Manhattan Beach)に住んでおり、女性の名前はドロレス・バリオス(Dolores Barrios)というドレスデザイナー。男性2人もドナルド・モラン(Donald Morand)、ビル・ジャックマート(Bill Jackmart)というミュージシャンだという。
彼女達は金星人と呼ばれることに迷惑しており、マーティンズが写真を撮りたいと言ってもその日は断った。残りの時間も3人は他の聴衆と関わるのを拒んだが、翌日の終わりには自分らの写真を撮らせることを許した。
ドナルド・モランドとビル・ジャックマート FORGETOMORIより |
ドロレスの写真の初出と思われる1954年10月16日付の雑誌
おそらくマーティンズによるブラジルの雑誌だろう
おそらくマーティンズによるブラジルの雑誌だろう
UFOが飛び去った話?
後の話では、マーティンズが勝手にストロボを使って写真を撮って彼女を怖がらせ、ドロレスが森の方に立ち去って間もなくUFOが飛び去ったが、誰も写真を撮れなかったことになっている。しかしマーティンズが出版した本には、ここに掲載したように複数の彼女らの写真があるので、それは話に尾ひれが付いたものだろう。また、彼女らの名前はゲストブックへの署名でわかり、調べても同じ名前のドレス・デザイナーは見つからなかったという話もあるが、これもどこまで本当かは怪しいものだ。少なくともゲストブックを調べる前にマーティンズの質問にちゃんと答えていたようだ。
また、ドロレスをニューヨーク在住とするサイトもあったが、これはカリフォルニア州のマンハッタン・ビーチとニューヨーク州のマンハッタンを混同したものだろう。
考察
これも「金星人っぽいから」として勝手に宇宙人にされちゃった例である(笑)。騒がれてもちゃんと二日間参加していたのだね。懐疑サイトFOGETOMORIにも書かれているが、仮に金星人オーソンに似ていたとしてもオーソンは男、ドロレスは女である。「オーソンが女装して紛れ込んでいたに違いない」とか苦しい言い訳しちゃダメ。
金星人として本に載せられたりして、その後の仕事に悪影響を及ぼさなかったか心配だ。
ドロレス亡くなる?
FORGETOMORIのコメント欄に、これが彼女ではないかと、ルイジアナ州の地方紙houma todayのサイトのお悔やみ記事へのリンクが書き込まれていた。ルイジアナ州の教会でミサが行われ、墓地に埋葬されるという。別にカラー写真入りのこの記事もあった。
ドロレス・バリオス・キーフ(Dolores Barrios Kieff)さんが2008年4月6日に81歳で亡くなったとある。1954年なら27歳前後なので、写真の見た目と合っている。
ルイジアナ州のセントバーナード出身とあり、カリフォルニア州への在住やドレスデザイナーの経歴などは一切書かれていない。
金星人に間違われたとはいえ一般人なので(本人かどうかもはっきりしないし)、掲載されていた晩年の写真の引用は控えることにする。顔はすっかり老け込みだいぶ印象は違うが、髪をオールバックにしている点はだいぶ似ている。
彼女は3人の息子、7人の娘、38人の孫、71人のひ孫と、かなりの大家族だったようだ!?
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