Nuremberg, Germany
概要
英語のWikipediaより |
その日早朝4時から5時にかけて、ニュルンベルク上空で飛行物体どうしによる戦闘が約1時間にわたっておこなわれたといい、それを当時の著名な版画家ハンス・グレーザー(Hans Glaser)が木版画にしたものがこれだ。
詳細
以下は新聞記事の内容。この記事に冒頭のハンス・グレーザーによる木版画がついていた。
なおこの文書は、スイスのチューリッヒにある ZentralbibliothekZürich に収蔵されている。
その日早朝4時から5時の間、太陽に恐ろしい現象が起き、多くの男女によって目撃された。
最初は、太陽の中央に2つの血の色をした三日月状の半円弧が現れた。
そして太陽の上下と両側に、血の色をした、部分的にどんよりとした色で、別の部分は黒鉄色をした丸い球があった。
同様に太陽の周りをトーラス状に、血の色の物や他の多数の球体があった。
筋が3本、四角いものが4つ、また個別のものも。
これらの球の間には血の色の十字架がいくつか見られた。
血の色の縞模様が後ろに向かって濃くなり、葦の葉のように全部が柔らかくなり、左右に一つずつ、前と後ろが太くなった2つの大きな棒状のものがあり、その中には4つ以上の小さな球体が入っていた。
これらが互いに戦い始めた。
最初に太陽の下にあった球体が両側に立っている球体に飛び出し、その後太陽の外に立っている大きな棒状の物の中の小さな球体は太陽に飛んでいった。
それ以外にも、球体は自分たちの間を行き来し、互いに1時間以上激しく戦った。
そして、太陽からの激しい衝突が最も激しかった時、彼らは疲れて、上で述べたようにすべてが太陽から地球に降りてきたように "彼らがすべて燃えたように"彼らは疲れ果てた巨大な煙で地球上で。 この後、黒い槍のようなものがあった。
非常に長くて厚いものでした。 シャフト(回転軸)は東を指し、ポイントは西を指していた。 そのような徴候が何であれ、神だけが知っていることを意味している。
私たちはこれまで全能の神によって私たちに悔い改めをもたらすために送られた天国の兆候のいくつかを次々と見てきたが、残念なことに、私たちはそのような高い兆候や奇跡を軽視している。
あるいは、私たちは彼らを嘲笑し、神が私たちの恩知らずのために恐ろしい罰を与えることがある。
結局のところ、神を恐れることは、決してこれらの徴候を捨てることは決してありませんが、天におられる彼らの慈悲深い父の警告として心に奪われ、彼らの人生を修復し、忠実に神に懇願する。
ユングの考察
20世紀半ば、著名な心理学者のカール・ユング(Carl Jung)は、これが自然現象である幻日を宗教的、軍事的に解釈したものである可能性が高いとの見解を示した。
十字架が宗教的な、筒と球体が大砲と砲弾に軍事的な解釈ができるという。
現場周辺地図
考察
日は出ていた?
絵と記録から、すでに日の出後で結構な高さに太陽が昇っているように思えるが、当時の天体をシミュレーションしてみたところ、当日は日の出が5時ちょっと過ぎだったので、4時台であれば明るくはなってきていても太陽は顔を出していなかったはずだ。
はたして現代と同じ世界標準時(GMT)+1時間の時差でシミュレーションしてよかったものか。日本の江戸時代のように、昼の長さによって一刻の長さが変わるような時法もあるので、注意が必要だ。
仮に日の出前で正しいとして、地平線下の太陽で幻日が起こるのだろうか。
仮に日の出前で正しいとして、地平線下の太陽で幻日が起こるのだろうか。
幻日と言っても日光の屈折、反射による現象一般のことを指すと思うので、太陽が地平線下にあっても起こるものかもしれない。
ただし一部の現象は幻日っぽい感じもするが、棒状の物の中から球体が出てきて戦うとか、それだけでは説明できないように思う。
特異な自然現象を見た人々がイマジネーションを膨らませて、実際にはなかったことを証言したり、話が一人歩きして尾ひれが付いたものかもしれない。
実際に何が目撃され、正体がなんであったのかは、より多くの資料にあたる必要がある。ただし大昔の出来事なので、どこまで残っているのかはわからない。
実際に何が目撃され、正体がなんであったのかは、より多くの資料にあたる必要がある。ただし大昔の出来事なので、どこまで残っているのかはわからない。
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