2019年1月24日木曜日

埋立地の宇宙人写真

1975年3月31日、日本、愛媛県川之江市(現・四国中央市川之江町)
Kawanoe-shi, Ehime-ken, Japan

概要

1枚目の写真
「‪UFO‬と宇宙」より
市内在住、写真工房経営のSさん(53)が自宅付近の埋立地で、放電現象とともに出現した宙に浮かぶ人影を撮影。
日本で初めて撮られた宇宙人写真なのか?!

詳細

写真工房を営むSさんは子供の頃からUFOをたびたび目撃し、写真にも収めていた。(詳しくは後述)
SさんがUFOの発着地点と考える市内の石鎚山(通称ピラミッド山)が付近の海の埋め立てのために崩されることになった。独自に反対運動を行う中、「何かある」という衝動を感じて埋立地に通っていたところ、1974年に赤い発光体を目撃する。
それ以来Sさんはその光体の撮影を目標に観測を続ける。
Sさんが書いた周辺の地図
自宅、本名がわかる記載は当サイトで修正しました
「UFOと宇宙」より
翌1975年3月24日夜9時過ぎ、埋立地で暗闇の中に影のようなものを目撃する。Sさんの100〜200m先に現れ、地上2mほどに浮かびながらゆらゆら動いており、大きさは30cmくらいに見えた。恐怖心はなかったが、なぜかこめかみの辺りが非常に痛かった。この現象はこれまでもUFOを目撃するたびに起こっていたという。

さらに観測熱が入り、3台のカメラと三脚を持って埋立地に向かう日々が続く。
そして6日後の30日深夜、再び地上2mに浮かぶ謎の光体を目撃。光体はきれいなピンク色をしていた。それは30秒ほどで音もなく消えてしまった。

ついに光る人影の撮影に成功

翌3月31日、再度埋立地に向かったSさんは、夜11時過ぎに再び激しい頭痛に見舞われる。何か起こると思ってカメラを構えて待つと、前方100mで放電現象のようなものが始まった。それは白、青、赤の光が明滅しながら上下左右に変化し、電子音のようなキーンという高い音が聞こえた。
2枚目の写真
現場ではたしかに一人だけだったのに、現像した写真には二人の人型が写っていた
「‪UFO‬と宇宙」より
それから4〜5分すると、その現象の中に白とオレンジ色の光に包まれた1体の人型の光が出現した。それは地上30cmほどに降りてきた後、音も立てず、滑るようにこちらに向かってくる。Sさんは夢中で写真を撮影した。
撮影機材はニコンの一眼レフ・ニコマートEL+ニッコール200mmレンズである。
3枚目の写真
「‪UFO‬と宇宙」より
4枚目の消える直前の写真
「‪UFO‬と宇宙」より
その人型は前方50m付近で向かって右方向に普通に歩き出すと、10mばかり進んでスーッと消えてしまった。
放電のような現象が始まってから5分、人型が消えるまで1分ほどであった。

無意識に握っていた奇妙な石

「UFOと宇宙」より
Sさんが気がつくと、右手に拾った覚えのない奇妙な石を握っていた。
Sさんはこれを「何者かが渡したものかもしれない。ひょっとすると宇宙人からのメッセージかもしれない」と語った。

周辺地図

撮影当時1975年の空撮

1975年当時の空撮写真
地理@沼津高専ウェブ地図より
何月の撮影かはわからないが、かなり右下の土地の土砂が削られているようだ。埋立地は今のネットの地図のように3Dで見られないのが残念だが、ならされる前は運び込んだ土が山盛りにされていて起伏があったことが考えられる。

現在

より大きな地図でUFO事件マップを表示

撮影までの経緯

最初の体験

Sさんが初めてUFOを見たのは、子供の頃、大阪で猛スピードで飛ぶ光体を仲間とともに目撃した時であった。当時は火の玉という認識だったが、何年かたった1950年(昭和25年)にリーダーズ・ダイジェスト誌(アメリカの家庭向け雑誌で日本版も出ていた)でケネス・アーノルド事件を知り、「あれはUFOだったんだ」と認識を改めた。
Sさんは同年8月5日の地元紙愛媛ウィクリーに、「空飛ぶ円盤とリーダーズ・ダイジェストについて」という論文を発表する。この前後にもUFOを目撃したという。

周囲の無理解

1965年(昭和40年)頃、Sさんは愛媛県新居浜市で週刊誌のカメラマンをしていた。かなりはっきりとUFOを目撃して他の人にも話したが、誰もまともに取り合ってくれなかったため、証拠写真を撮ろうと決意した。

ピラミッド山

1970年(昭和45年)8月、自宅近くの橘丘(たちばなおか)、通称「ピラミッド山」で風景写真を撮影中に1機のUFOが現れたのを撮影する。写真を拡大すると土星型であった。これをきっかけに、Sさんはピラミッド山に興味を持ち始める。
ピラミッド山の頂上には戦国時代の井戸跡だと言われる四角いくぼみがある。周囲と土の質が違ったり、中がくすぶっているのを見たことから、SさんはUFOの発着地点に違いないと思うようになる。
このくぼみで撮った記念写真にもうっすらと円盤状の物体が写っていたため、いよいよ仕事そっちのけでUFO観測を始めるようになる。

埋め立て工事

1973年(昭和48年)頃より、海岸の埋め立て工事が始まり、ピラミッド山の土も埋め立てに使われることになり、住民の間で起こっていた環境破壊に対する反対運動とともに、独自に運動を展開する。
山が崩され始めてあせる中、「何かある」という強い衝動を感じたSさんは、朝晩に飼い犬を連れて埋立地に往復する日々を送るようになる。
そして翌1974年(昭和49年)、埋立地から海の方を眺めていてパッと光る赤いものを目撃する。この物体を撮影すべく、観測を続けた結果が冒頭3月24日の目撃へとつながる。

別な目撃者

2人の青年

自分以外の目撃者を探していたSさんだったが、9月になって市内で働く2人の若者(25歳と22歳)がSさんを訪れる。2人は8月15日に目撃したという、Sさんが目撃したのと同様な光を放つ人型のイラストを見せ、「絶対にあれは宇宙人に違いない」と言う。

埋め立て請負業者

埋め立て工事を請け負う五洋建設のI氏も、似たようなものを目撃していたことがわかり、Sさんが以下のような証言を直接聞いたという。
「写真に写っているのは埋め立て工事の潜水夫ではないかという意見があるが、潜水夫は夜間には仕事をしないし、潜水夫が必要な工事は去年で終わっている。事件のことは社内でも有名で、社内報にも載った。私自身も2〜3回この埋立地で不思議な光体を見ており、信じないわけにはいかないと思っている」

市営団地の住人達

あるテレビ局が埋立地に面した市営団地で調査したところ、ほとんどの住人が不思議な光体を目撃していたという。
※当時の地図を見る限り、この団地というのはいわゆるマンション型の高層建物の集合でなく、1〜2階建ての低層住宅の集まりのようだ。甲府事件の現場付近にも団地としてこうした地域があるのと同じだ。

埋め立て工事が終わって家などが建ち始めてからは光体は出現しなくなった。

その後のエピソード

小型UFO墜落?

撮影後の7月24日、Sさんが城山の頂上から海を眺めていたところ、真っ赤に光る飛行物体に気づく。物体は急に燃え出して飛び上がり、落下し始める。翌朝落下したと思われる場所に行ってみると、UFOのかわりに丸い穴が無数にあいた破片のようなものを見つける。
Sさんは介良事件のUFOの底部にある穴と似ていることから、小型UFOの残骸だと確信した。

宇宙人の部落?

奇妙な石を得たSさんは「石に何か誘導する力がある」と感じ、ある時、石と方位磁石を持って仲間とともに自分の衝動のまま車を進め、松山市近くの町でヘルメットのようなものを被ったような人の顔が彫られた石像群がある場所に行き着く。
Sさんは、「この付近には宇宙人かその子孫の部落があったのではないか」と推理する。

考察

当時のUFOの本には結構載っていた有名な写真だ。放電現象を撮影中に宇宙人が写ったというようなキャプションがついていたので、自然現象撮影が目的なのかと思っていたのだが、実際は超常現象の撮影が目的だったのだな。

日付について

「UFOと宇宙」の記事本文では、初めて影のようなものを見たのが1975年(昭和50年)5月3日でその6日目が30日と書かれる矛盾がある。別のページでは初回目撃が3月24日とあり、これなら矛盾がないのでこちらを採用することにする。

写真の証拠能力について

公平に見て、人型以外に何が写っているのかよくわからない写真だ。場所を特定できるものが一切写っていないので、本当にその場所、その日時に撮られたものかも立証できない。「本人が言っているんだから…」ということにするなら検証ではなくなる。
あくまでも証言どおりと仮定した場合の話となる。
事件現場付近の埋立地で観測中のSさん
背景の山は埋め立ての盛り土ではなく、城山公園のある最寄りの山っぽいが詳細不明
「UFOと宇宙」より
数mの高さに浮いていて降りて来たとの話だが、真っ暗でわからない中なら、山と積まれた埋め立ての土の上から下りて来てもそう見えるだろう。せめて昼間同じ場所で同じように撮影してみないといけない。

放電のような現象について

光の筋はカメラブレ

放電現象とされる光の筋が写っているがどれもまったく一緒の形をしているので、スローシャッターによるブレであることは明白だ。少なくとも放電の火花がこのような軌跡を描いたものではない。
カメラは三脚に取り付けていたようだが、動いている被写体を撮るならストッパーをゆるめて手で動かす必要があるので、手ブレを完全に抑えられるわけではない。

実際に放電のような現象が起きていたのか、キーンという高い音が聞こえていたのかなどは本人の証言しかないので、これも証拠としては採用できない。

光源の推測

あくまで現場で写されたとしての話だが、この光の正体は何だろう。埋立地にある転落防止のためなどの灯りだろうか?
背後は瀬戸内海なので、一番近い対岸となる伊吹島までは13kmもある。はたしてそこの灯りが見えるものだろうか?
カメラを向けた北の空低くにはこと座の1等星ベガ以外に写り込みそうな目ぼしい星もない。
船の灯りなら考えられないこともないが、何とも言えない。
Sさんは海の方に向けて写したと言うが、それが逆に海を背に陸の方に向けて写していたのであれば、単なる街明かりということになる。

宇宙人(?)について

当時の空は月齢18.6という半月より少し大きな月がやっと東の地平から顔を出した頃で、かなり暗かったと想像される。造成中の埋立地なので街灯などもまだなかったろう。
その状況で2mの高さに浮いていたとか、30cmまで降りて来たというのも、Sさんの主観でしかない。要するにあてにならないわけだ。

人数について

深夜に最低でも50m以上は離れていたというのだから(夜間なのでその距離もかなり曖昧だと思うが)、縦に並んで歩いてきたのなら人数を見誤ってもおかしくはない。
スローシャッターで撮影中なので、動き方によっては一人でもこうした写真は撮れるかもしれないが、断言はできない。

どう撮ると光る人として写るか?

懐中電灯であれば持っている本人の体には光が当たらないが、ランタンのようなものを持っていたのであれば本人にも光が当たる。こちらに向かってくるそれをスローシャッターで写した場合、ブレて服が白飛びし、このような写りにならないだろうか?
「スローシャッター 人」で画像検索すると、主に昼間の写真ではあるがそうしたブレた人物写真が見られる。これを夜間に灯りを持った人を写したと想像してみたい。

もしくは、Sさん自身が被写体に対し懐中電灯を向けたことも考えられる。片手で三脚に乗せたカメラをいじり、片手で懐中電灯を照らしていたわけだ。

知らずに手にしていた石について

これはSさんがそう言っているだけであり、客観証拠ではない。
不思議さを強調するための虚偽である可能性も十分あるし、石を手にして衝動のまま進んだ先に何かがあったとしても、それはたいてい無関係なことである。ちゃんとした根拠もなく宇宙人の部落などと言うのはただのこじつけだ。

他の目撃者の存在について

誰かが埋立地を灯りをつけて散歩していたなら、付近で同じように目撃されていても何もおかしくはない。もしかしたら付近で目撃された光体には、Sさん自身の懐中電灯も含まれていたかもしれない。
また、UFOだ宇宙人だと騒ぎになれば「実は自分が見たのもそうだったのかもしれない」と言い出す人達が出てくるものだ。
光る人影があったとして、それを簡単に宇宙人呼ばわりするのも問題だ。せめて明らかなUFO(宇宙船としての)の着陸でも目撃されていなければいけない。

まとめ

奇妙に見える写り方がした写真ではあるが、直接着陸したUFOが見られたわけでなし、間近に異形の姿を目撃したわけでもない。UFO/宇宙人事件と呼ぶこともためらわれる。

埋立地を散歩中の人に懐中電灯を向けたか、ランタンのような灯りを持っている人を怪しんで撮影したところ、灯りの加減とブレ、ピンボケなどが重なって奇妙に見える写真が撮れたのではないかと思う。
状況を推測するなら、時々深夜の埋立地を散歩している人(もしくは人達)が、Sさんの方に向かってやって来たが、Sさんに気づき、顔を会わせるのを嫌って向きを変えて進む。途中で灯りも消してしまったので消えたように見えたというわけだ。
放電現象とされるものの光源を考える余地はあるが、おおかたそんなところではないかと推測する。

円盤マニアにご用心

Sさんは以前からのかなりの「円盤マニア」で何枚ものUFO写真も撮影している。新聞に論文を送るし、当時周囲で起きたいろいろな事象をUFOと結びつけて考えいる。こうした人物の証言は十分注意して扱わなければいけないのはおわかりいただけるだろう。
写真工房を営んでおり、本件の写真がそうかどうかはわからないが、現像/プリント段階で手を加える技術も持っているだろうし、スローシャッターでどう写るかもわかっていなければおかしい。

「UFOと宇宙」誌の詳しい記事で、子供向けのUFO本での短い紹介ではわからなかったことがわかった。

参考資料

  • UFOと宇宙 1977年11月号 No.28/ユニバース出版社
  • UFO全百科/監修・南山宏/小学館コロタン文庫
  • 宇宙人の謎/並木伸一郎/学研ムーブックス

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