2019年5月13日月曜日

ケネス・アーノルド事件後の日本の新聞報道

情報ソース:朝日新聞縮刷版

1947年6月24日のケネス・アーノルド事件から空飛ぶ円盤=UFOの話題が起こったことはよく知られているが、日本での報道がどうだったのか、図書館に行って調べてみた。
朝日、産経、下野の各新聞があったが、縮刷版で簡単に調べられるのは朝日だけだったので、時間の都合もあって今回はこれだけ。

当時の朝日新聞は終戦後で紙不足だったためなのか、表裏の一枚ものだったようだ。
初めて空飛ぶ円盤の記事が出てきたのは、アーノルド事件の翌月7月8日になってからと遅かった。縮刷版の目次にも「空飛ぶ円盤」の項目が作られるほど、この月は円盤記事が多かった。(5件)
しかしアーノルド事件自体は報じられていない。他の新聞を調べたら載っているだろうか?
逆に8月以降になると目次には円盤の文字は見つからず、急速に関心が薄れていた感がある。

1947年(昭和22年)7月8日火曜日

1947年(昭和22年)7月8日 朝日新聞朝刊
すでに「空飛ぶ円盤」の呼び名で報道されているほか、「飛びゆくコーヒー皿」としてフライング・ソーサーの直訳も紹介している。「円盤のようなもの」としつつも「月形または卵形で平べったく」とアーノルド事件の証言を元にしたような記述も興味深い。「特殊な波動を伴って飛ぶ」なんて情報もあったのだね。
6月分でアーノルド事件自体の記事を探したが見つからなかった。今でこそ有名だが、ロズウェル事件の報道も一切ない。

1947年(昭和22年)7月9日水曜日

1947年(昭和22年)7月9日 朝日新聞朝刊
8日に続き、翌日も早速アイダホ州セント・マリー付近の山腹に円盤が着陸したという事件が報じられている。これは米空軍のUFO研究組織プロジェクト・ブルーブックにも記録されていないようだ。
陸軍は軍の実験という説を否定し、念のために現場を上空から調査している。錯覚かインチキとの説が挙がるなど、すでに疑う人も出ている。

1947年(昭和22年)7月13日日曜日

1947年(昭和22年)7月13日 朝日新聞朝刊
「練粹(?)無線操縦式噴射推進円盤」は陸軍によってあっさりと「いい加減な代物」「空中を飛べるかどうか怪しいもの」とされている。
円盤の正体に対して3000ドルの賞金がかけられていたのも、当時の盛り上がりが推測される。

1947年(昭和22年)7月14日月曜日

1947年(昭和22年)7月13日 朝日新聞朝刊
丸ノコギリの歯ような円盤が落下して、住民達はこれを空飛ぶ円盤だと言っている。これは先日のNHKの「幻解!超常ファイル」でもネタとして取り上げられていたが、丸ノコの歯だよね。なぜこんなものが空から落ちてきたのかはともかく。本当に落ちてきたのか、落ちてきたと思い込んだのかもしれないけど。
中国北東部、満州での多数の円盤…というより光体の目撃が伝えられている。この季節は目立った流星群はないし、1時間に80個が同一方向に流れ去っていったというのは単なる流星だと説明しづらい。
自然現象でないなら何かの航空機が飛んでいたのかもしれないが、情報不足ではっきりとしたことは言えない。

1947年(昭和22年)7月17日木曜日

1947年(昭和22年)7月17日 朝日新聞朝刊
7月13日付で報じた記事の続報。正体見たりとあるが、結局これが何であったのかまでは書かれていない。いたずらの作り物ではあるだろうが。
なお、当時はさっそくこうした作り物の円盤による愉快犯が出てきており、ブルーブックにもいくつか写真入りでファイルされている。(この記事の事例は未収録)
写真付きではあるが、記事のサイズは非常に小さく、うっかりすると見落としてしまいそう。

火星人ロゴ


余談になるが、前月6月29日の広告に、金属専門商社・佐藤商事合資会社のこのマークが載っていた。
筆者の子供の頃(1970年代)には火星人を意味するマーシャン(Martian)と名前が書いてあったのだが、この当時はまだ書かれていない。地球外の知的生命体が存在する、宇宙人という概念はこの頃は希薄だったんじゃないだろうか。
Wikipediaによればこのマークは1946年に作り、火星人という設定は1958年だということだ。

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