(日時と場所については諸説あり、別記する)
Harayadori beach, Hitachi-no-kuni (now Ibaraki-ken), Japan
(There are many theories about the date and place, which are described separately.)
概要
江戸奇談怪談集(ちくま学芸文庫)より この絵は同書の直接の出典である日本随筆大成第二期1(吉川弘文館・昭和3(1928)年)から |
鉄とガラスで作られた円盤状の乗り物が日本の浜に漂着。中には外国人と思われる女性が乗っていた。女性は言葉が通じず、箱を大事そうに持っていた。面倒を嫌った住人達は、女性を乗り物に戻して沖に戻してしまった。
詳細
内容は伝える書物ごとに微妙に異なっているので、兎園小説収録のものをベースとし、後段で相違点を記すことにする。
享和3年癸亥(1803年)2月22日の午の時(午前11時〜午後1時)頃、常陸国はらやどりという浜での出来事。
はるか沖の方に舟のようなものが見えたので、漁村の人たちは何艘もの舟でこれを浜まで曳航して来た。
奇妙な形の舟
- 形は香を入れる容器のように丸い
- 直径三間(約5.5m)あまり
- 上部はガラス張りの障子をチャン(松脂)で塗ってあり、中が見られた
- 底の方は鉄板を筋のように段々に張っている
- 中には異様な姿の婦人がいた
中にいた女性の様子
- 眉と髪の毛の色が赤い
- 白く長い仮髪(今でいうエクステのようなもの?)が背中に垂れていた。それが動物の毛か糸をよったものなのかはわからなかった
- (原注:馬琴の考えでは、ロシア人について書かれた本に「女の衣服は筒袖で腰より上を細く仕立て」「髪の毛は白い粉を塗りかけ結ぶ」などとあるため、この女性の髪も白い粉を塗ったものであろう。ロシアの属国の婦人であろうか?)
- 言葉が通じないため、どこから来たのかはわからない
- 2尺(約60cm)四方の箱を大事そうに持ち、人を近づけない
船内の様子
- 水が小瓶に2升ばかり入っている(原注:別の本では小舟に2斗の水とあり、どちらが正しいのか不明)
- 敷物が2枚
- 菓子のようなもの、肉を練ったような食べ物がある
- 奇妙な形の文字が多く書かれていた
女性は人々が集まってどうしたものかと話しているのを、微笑みを浮かべながらのんびりと見ている。
老人が推測したところによれば「女性は外国の王の娘で、他家に嫁いだものの浮気がバレてしまい、浮気相手の男は処刑されたが王女自身はさすがに殺せないので虚舟に乗せて海に流し、生死を天に任せたのではないか? 箱の中は浮気相手の首か何かだろう」という。
言い伝えでは以前にも虚舟に乗せられたこのような外国人の女が浜に漂着したことがあり、船内にはまな板のようなものに載った生々しい人の首があったという。
これを役所に届けた場合に多額の費用を自己負担をさせられてしまうことを恐れた漁村の人達は、このようなものを海に返した先例もないわけではないため、女を再び舟に乗せ、元のとおり沖に流してしまった。
舟の中の奇妙な文字は、近頃浦賀沖に停泊したイギリス船にも同様のものがあったので、あの外国人の女はイギリスか、インドのベンガルか、アメリカなどの王の娘だろうか?
当時の好事家が写し伝えたことは以上のとおり。図説ともに不明確で具体的じゃないのが残念。
兎園小説と馬琴について
うつろ舟の出典として最も有名な兎園小説は、文政8年(1825年)から月に一度の兎園会という集まりにおいて奇事異聞を持ち寄ったものをまとめた、今でいうところの同人誌である。本集全12巻は文政8年(1825年)成立。他に別集などが計9巻ある。
兎園会の中心メンバーが曲亭馬琴(1767〜1848)で「南総里見八犬伝」で有名な作家である。
滝沢馬琴と呼ばれることが多いが、本名の滝沢興邦と戯号(ペンネーム)の曲亭馬琴を合わせた明治以降に使われるようになった呼び名で、当時その名前で活動していたわけではない。兎園会では滝沢解を名乗る。
「うつろ舟の蛮女」は息子の琴嶺舎(滝沢宗伯)の執筆。
常陸国のうつろ舟伝説
星福寺に伝わる金色姫とうつろ舟の伝説
星福寺の金色姫のお札 書いたのは曲亭陳人!(=曲亭馬琴) 幻解!超常ファイルより |
「欽明天皇13年(584年)、常陸国鹿島郡豊良浦日向川村(現在の茨城県神栖市日川)に、桑の木のうつろ舟に乗った金色姫が流れ着き、黒塚権太夫という漁師に助けられるが死んでしまう。姫の体は蚕に変身して日本に養蚕を伝えた」
日川の海岸の名前は日川浜という。
内容:異国船が流れ着き、引き上げると20歳位の言葉の通じない美女がいた。
2012年に茨城県日立市内の、江戸時代に海岸防御に携わった郷士(ごうし)の子孫の家の倉庫で発見された古文書。文書作成日に「享和3年3月24日」と、事件一ヶ月後の作成を思わせる記載。
2012年4月23日茨城新聞掲載(Web魚拓)
瓦版刷り物(作者不明、船橋市西図書館蔵)
1804〜1814年頃
日時・場所:享和3年(1803年)2月中、小笠原越中守様御知行所 常陸国かしま郡京ヶ浜
概要:舟が沖で発見される。19歳くらいの女性が乗っていて、箱を大事そうにしていた。
当時の新聞にあたる瓦版として売られていたもの。
鶯宿雑記(駒井乗邨)
1815年頃
nippon.comより |
日時・場所:享和3年(1803年)8月2日、常陸国鹿嶋郡阿久津浦
概要:小笠原越中守様知行所より訴え出があって行くと漂流船があった。中には21〜2に見える女性がいて、白い箱を絶対に見せてくれなかった。以上は自分が御徒頭として江戸に行っていた時の話で、後になってもどこの国の人か分かったとは聞いていない。
東北の武士が江戸での噂を記した日記だという。
兎園小説(曲亭馬琴)
1825年(文政8年)
江戸「うつろ舟」ミステリーより |
日時・場所:享和3年癸亥(1803年)2月22日の午の時(午前11時〜午後1時)頃、常陸国はらやどりという浜
概要:流れ着いたうつろ舟の中に異国の女性、大事そうな箱、奇妙な文字、面倒を嫌って沖に戻す。
兎園小説の絵図は収録された文書によって複数あるようで、記事冒頭に掲載されたものは昭和初期に日本随筆大成収録時に描かれたものだろうか?
弘賢随筆(屋代弘賢)
1825年(文政8年)
nippon.comより |
弘賢は兎園会メンバーでもある。記事の執筆は馬琴の息子の滝沢興継(宗伯)。
執筆者が兎園小説と同じであり時期も同じであるため、絵図もそっくり。
梅の塵「空船の事」(長橋亦次郎)
1844年(天保15年)
新・トンデモ超常現象60の真相より |
日時・場所:享和3年(1803年)3月24日、常陸の国 原舎浜
概要:釜のような異船が漂着し、20歳くらいの色白で黒髪の美女が乗っていた。小さな箱を大事そうに持っていた。原舎の浜は小笠原和泉公の領地である。
漂流記集(著者不明、西尾市岩瀬文庫蔵)
年代不詳(1835年以降?)
nippon.comより |
日時・場所:常陸國 原舎ヶ浜
概要:船が漂着し、中に18〜20歳くらいの女性がいた。
外国漂流全書
年代不詳東大図書館に収蔵されていたが関東大震災で焼失。吉野作造の著作に記事が引用。
水戸文書(田中嘉津夫氏による通称)
年代不詳(状態が良いので幕末〜明治のものではないかと発見者は推測)
nippon.comより |
日時・場所:享和3年(1803年)8月、常陸国鹿島郡外濱
2010年に茨城県水戸市で発見された古文書(個人蔵)。その前は2002年頃に京都で発見されたらしいものを古物商経由で入手したもの。
外濱は、海岸沿いではないが利根川沿いの千葉県小見川町外浜ではないかとされる。(利根川を挟んで茨城県と隣接している)
外濱は、海岸沿いではないが利根川沿いの千葉県小見川町外浜ではないかとされる。(利根川を挟んで茨城県と隣接している)
長野文書(当サイトによる通称)
年代不詳。所有者は幕末〜明治頃の写ではないかと推測。
やじきた.comより |
日時・場所:享和3年(1803年)2月5日、小笠原越中守様御知行所 房州の湊
概要:漂着した船に女性が乗っていた。与えた食べ物を食べなかったため、5日ほど生きていたがその後死んでしまった。日本人を見て手を合わせ、南を向いて何か言ったが言葉はわからなかった。5日目の夕方に謎の文字を書き残し、亡くなって寺に葬られた。
長野県の古書収集家が所有する古文書。
場所が常陸国ではなく房州(安房国)=千葉県南部になっている。所有者は現在の千葉県館山市の湊にあたる房州の湊村ではないかと推測している。
沖に返されるのでなく、死んで葬られるのが特徴。
伴家文書
幻解!超常ファイルより |
日時・場所:享和3年(1803年)2月26日、常陸原舎り濱(現在の神栖市波崎舎利浜)
2014年に甲賀流忍術の武術家で三重大学特任教授、川上仁一氏所有。氏によると伴家(甲賀忍者)が、仕えた尾張藩主の参勤交代のために集めた情報なのではないかという。
国際稀覯本フェア文書(当サイトによる通称)
2020年の国際稀覯本フェアのカタログより |
2020年3月20日開催のABAJ 国際稀覯本フェア2020において、かげろう文庫が出品したもの。
カタログによると以下のとおり。
幕末頃書写 紙本/26x36cm/墨書/1葉 僅かに折れ目、極小虫損通称「うつろ舟」として知られる文書、享和3(1803)年常陸国(現・茨城県)海岸に漂着した謎の物体と同乗していた女性の姿を伝える、数種ある伝書のうち「稲生家文書 安政2(1855)年5月12日・日記」(埼玉県立文書館蔵)と同種
378,000円で販売され、即売り切れたという。
新古雑記
年代不詳(1817年以降?)
国会図書館デジタルコレクションより |
日時・場所:亥3月26日、常陸國厚舎ヶ濱
概要:漂着した異国船に二十歳くらいの美しい女性が乗っており、2尺四方の箱を大切に持って手放さなかった。
新古雑記は、うつろ舟以外にも当時のエピソードをイラスト入りで収録した読み物のようだ。筆者(雅)は古文書などはほとんど読めないので、詳しくは国会図書館に登録すれば自宅からも読める原本を確認してほしい。
例の奇妙な文字も載っている。厚舎ヶ濱とあるのは原舎ヶ濱の誤記と推定される。
著者、出版年とも不明のようだ。書物の書き出しが享和三(1803年)となっているが、文化十四年(1817年)のエピソードもあるようなので、早くてもそれ以降の出版だ。
2023年のwebムーに掲載されていたという以外の情報は、まだ筆者は知り得ない。2021年に発見されたとも?
異聞雑著(浣花井(鈴木甘井))
年代不詳(18世紀後半以降?)
新潟県上越市のWebページより |
日時・場所:亥3月26日、常陸國原舎ノ濱
概要:漂着した異国船に二十歳くらいの美しい女性が乗っており、2尺四方の箱を大切に持って手放さなかった。
著者の浣花井とは18世紀後半、榊原高田藩の初代藩主であった榊原政永の下で藩財政の建て直しを主導した鈴木甘井のこと。
こちらも内容はほぼ変わらない。最後に公儀に確認した上で「この事は偽りと聞いた」と検証した私見まで載っているのが特徴。
2021年10月の上越市サイトに「今回、上越にも同事件の記録が遺っていることが分かった」とあったので、その頃発見されたのだろう。
各文書の相違点
地名について
数々のうつろ舟文書に書かれた常陸国はらやどりという浜、常陸国かしま郡京ヶ浜、常陸国鹿嶋郡阿久津浦、常陸國原舎ヶ浜…などは実際にどこであったのか不明の地名だ。
しかし、2014年発見の伴家文書に書かれていた実在の地名が常陸原 舎り濱である。長野文書の房州(千葉県南部)ではあるが湊という地名も実在する。
日時について
金色姫伝説を除けば、日時こそバラバラだが享和3年(1803年)で統一されているようだ。
内容について
基本は円盤状の小舟が流れ着いて、中に言葉のわからぬ女性が乗っており、船内に謎の文字が書かれていたという内容だ。
結末は、兎園小説では対処に困った漁民達に海に戻され、長野文書では与えた食べ物を食べなかったため、5日ほど生きていたがその後死んでしまい、その他でははっきりしないものが多いという。(筆者は全部調べきれなかった)
柳田國男の考察
民俗学者の柳田は大正15年(1926年)発表の論文「うつぼ舟の話」において、江戸時代の日本各地には海を越えて漂着し人々に何かをもたらした神々の伝承があり、神が乗る空洞の乗り物をうつぼ舟と呼んだ。この伝承を基にした話ではあるが根拠のないつくり話であるとしている。
謎の文字についても世界中どこを探してもない文字なので、この話が駄法螺であることの証明だと手厳しく切り捨てている。
奇妙な文字について
蘭字枠のついた浮世絵 うつろ舟に書かれていたのによく似た記号が見られる 幻解!超常ファイルより |
ASIOSの会員でもある疑似科学ウォッチャー 皆神龍太郎氏によれば、江戸時代後半の浮世絵には西洋の文字を真似た「蘭字枠」と呼ばれるデザインが流行っており、それを元にしたものではないかと推測する。
田中嘉津夫氏の考察
うつろ舟研究の第一人者、田中嘉津夫 岐阜大学名誉教授(加門正一のペンネームでASIOS会員としても活動する)は、茨城県神栖市にある真言宗の寺院 星福寺に伝わる養蚕信仰を基にした伝説なのではないか? 蛮女の姿も星福寺に祀られている金色姫の木像がモチーフになったのではないか? と推測している。
しかしまた、全ての文書で1803年に起きたと特定し、円盤型の舟と女性の絵図を描いている点が日本各地のうつろ舟譚と違う点であり、もしかしたら実際に何かの目撃情報があってそれがうつろ舟伝説と結びついた可能性もあるという。
金色姫のお札の文書を書いたのが曲亭馬琴(曲亭陳人名義)でもあることから、馬琴の創作か、少なくとも何かを知っている可能性が高いのではないか? とも推測している。
うつろ舟=UFO説の起源
うつろ舟が不時着したUFOで、乗っていた蛮女が宇宙人ではないかというのを言い出したのは、UFO研究家、オカルト作家の斎藤守弘氏だという。過去のUFO事例を探す過程で見つけたという。
事件現場地図
場所が唯一地名が判明している常陸原舎り濱だとすると、現在の神栖市波崎舎利浜になる。
考察
UFOではないかと言われつつ空を飛んでいたわけではなく、宇宙人ではないかと言われつつ姿は人間そのままであり、宇宙から来たと思われるエピソードもない。
円盤状の舟はたしかに奇妙であるが、言葉が通じないのは外国人だから、奇妙な文字はデザインだからと考えればさほどおかしいことではない。
円盤状の舟はたしかに奇妙であるが、言葉が通じないのは外国人だから、奇妙な文字はデザインだからと考えればさほどおかしいことではない。
同様のうつろ舟伝説が日本各地で見られ、金色姫伝説にゆかりがある土地であるなら、数あるそうした民間伝承の一つと考えるのが妥当だ。少なくともこれだけの情報では、江戸時代のUFO譚か否かと言われたらそうではないということになる。
あの円盤型の舟が他のうつろ舟伝説には登場しないということなので、あの時代になぜああいったデザインになったのかは興味深い。
常陸国のうつろ舟譚を含め、こうした話がある程度でも実際に起きた出来事を基にした話なのか、まったく何もないところから生まれた話なのかは筆者はわからない。それぞれなのだろうとは思う。
馬琴の関与を含め、今後解き明かされて行くことを期待する。
参考資料
- 江戸奇談怪談集/須永朝彦・編訳/ちくま学芸文庫
- 兎園小説 第十一集 虚ろ舟の蛮女/琴嶺舎(滝沢宗伯)/大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館のサイト
- 謎解き超常現象Ⅳ「江戸『うつろ舟』ミステリー」(加門正一)/ASIOS/彩図社
- UFOと日本人(1):江戸時代に漂着した謎の美女と円盤型乗り物―「うつろ舟」伝説の謎を追って/2020/6/17/nippon.com(田中嘉津夫=加門正一氏のインタビュー)
- 幻解超常ファイル ダークサイドミステリー 2014年8月16日/NHK総合テレビ
- 茨城新聞 2012年4月23日「異国美女漂着「うつろ舟」奇談 日立の旧家に新史料 日付記載、1カ月後作成か」(Web魚拓)
- やじきた.com/江戸時代の浮世絵にUFO!?うつろ舟の謎 (1)〜(9)(長野文書所有者のブログ)
- Wikipedia / 虚舟
- Wikipedia / 曲亭馬琴
- Wikipedia / 兎園会
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