2018年12月6日木曜日

冥王星

惑星から分類変更された準惑星

探査機ニューホライズンズが撮影した冥王星
NASAより
かつて太陽系の最遠、第9惑星として数えられていた冥王星。
周辺で数々の似たような天体が発見されたことから惑星の定義が変更され、冥王星は準惑星(Dwarf Planet)という分類になった。

地球の月よりも小さく、衛星カロンは冥王星の1/7もの質量があるため、互いに共通の重心のまわりを公転する二重惑星と言われることがある。

冥王星の中心部にある放射性物質の崩壊熱(放射性物質が放射線を出して別の元素になる際に発する熱)によって氷が融かされ、地下に海が広がっているのではないかという説もある。
その場合、土星の衛星エンケラドゥスがそうであるように、地面の割れ目から間欠泉が吹き上がっていることも考えられる。

プルトニウムの語源

余談だが、核燃料にもなっているプルトニウム(Plutonium)の名前の由来は冥王星のプルート(Pluto)からである。
その前の並びの元素であるウラン(Uranium)が天王星・ウラヌス(Uranus)、ネプツニウム(Neptunium)が海王星・ネプチューン(Neptune)から取ったので、次が冥王星から取ったという単純なものだ。核兵器の材料として冥府の王の名が使われているのは皮肉なものではある。

次々と発見される衛星

遠くて小さい天体のために、最初は発見されていなかった衛星が、近年の観測技術向上によって次々と発見されるようになった。
以下、内側の軌道から
  • カロン(Charon)
    • 1978年発見。冥王星最大(推定半径642km)の衛星
  • ステュクス(Styx)
    • 2012年発見。冥王星最小(推定半径10km)の衛星
  • ニクス(Nix)
    • 2005年発見
  • ケルベロス(Kerberos)
    • 2011年発見
  • ヒドラ(Hydra)
    • 2005年発見

発見者トンボー博士

トンボー博士
冥王星の発見者はアメリカの天文学者のクライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh)だ。
期間をあけて同じ場所の写真を撮り、移動している天体を探す手法によって、1930年に冥王星を発見した。

惑星から準惑星へ

発見から62年、1992年以降に冥王星と似たような大きさの太陽系外縁天体が次々と発見されるに至ったことから、冥王星を惑星と呼ぶことに対しての疑問の声が生じていた。
そして2006年の世界天文学連合(IAU)による惑星の定義によって、冥王星は惑星の座から準惑星の座にその立ち位置を変えることとなる。
同時に衛星カロンも準惑星に分類された。

当時「冥王星が惑星でなくなる」というのを、冥王星自体が何か別のものになったり、太陽系からなくなってしまうかのような勘違いをしている人をネットで散見したが、分類が変っただけで冥王星自体に何か変わるわけではない。

探査機に乗って冥王星に向かったトンボー博士

トンボー博士の遺灰の一部は、2006年に打ち上げられた冥王星探査機ニュー・ホライズンズに乗せられ、2015年7月14日夜8時50分頃(日本時間)に冥王星に最接近し、さらにその先の宇宙へと旅立った。

冥王星の重力が小さいのと、減速するための燃料が積めなかったため、ニュー・ホライズンズは冥王星軌道を周回して観測することはできず、冥王星観測後はボイジャー探査機などと同様に外宇宙に向けて飛行を続けることとなる。

トンボー博士のUFO目撃談

直接冥王星とは関係のないことであるが、トンボー博士はUFOを目撃していることでも有名で、ETH(異星人が地球にやって来ているという仮説)を支持していた。

1949年8月20日の夜、当時43歳だった博士は、ニューメキシコ州ラス・クルーセス(Las Cruces)の自宅前において、夫人とその母の3人で天頂付近に奇妙な飛行物体を3秒間ほど目撃する。
それは6〜8個の緑色に輝く長方形の光体で、かなりのスピードだった。光体どうしはどれも同じスピードで飛び、飛行機の窓のように見えたという。どんな音も聞こえなかった。
最初は平らなように見えたが、遠ざかるにしたがい横の面が見え、窓のような四角いものは2つずつ一列に並び、一つの大きさは満月の2倍ほどの面積だった。

この時は地上光の反射説には疑いを持ち、宇宙船説も支持せず、気温逆転層による大気中の自然な光学現象の可能性が高いとしている。
「私はこれが地上からの反射であったことに疑いを持っています。なぜならこの類のものが後にも先にも起きていないからです。このようなものを目撃する準備ができておらず、すくみあがってしまいました。
私自身の太陽系に関する研究から、他の惑星の知的文明を考慮する余地は少しもありません。火星でさえもです。
近くの恒星を公転している惑星からの訪問も信じられません。
仮にそのような訪問があったとしても、数億年の地質学的タイムスケールを考慮すれば、一世紀または千年に一回くらいの確率でしょう。」

(ただし、逆転層による説明をWikipediaから直訳したところ以下のようになり、結局は地上の光の反射を疑っているようにも思える。上手な訳を待ちたい)
「もっとも説明がつきそうなのは、大気中の自然の光学現象です。
天体の暗さ、それが天頂から南東の地平線に向かって遠ざかっていくときの強度の衰え方と一緒に、反転層のような屈折率のわずかなコントラストの光学境界または表面からの反射を非常に示唆しています」

英語のWikipediaによれば、その後も1950年代初頭にかけて金星よりも明るい飛行物体や謎の火の玉などを何度か目撃したという。
そして1956年には、「私はこの7年間に、既知の現象(例えば金星、大気の光学現象、隕石や飛行機)のどんな説明もつかなかった3つの現象を見ました。私はプロの天文学者です。私は数名の評判のいい科学者達が、地球外の起源と自然の可能性の考慮を否定するのは非科学的だと思う。」とまで言うようになったようだ。
筆者(雅)の誤訳でなければ、繰り返しの目撃によって考えを変えるに至ったのではないかと思われる。Wikipediaではその点について触れられていないので、はっきりとはわからない。
1951年もしくは1952年以降は、個人的には何も見なかったという。

「エイリアン・クラフトの可能性を否定すべきではない」ということのようで、現代のUFOビリーバーのように盲目的に信じているわけではなさそうだが、それでも内心はかなり信じていたような節が感じられる。
1950年にドナルド・キーホーの著書「空飛ぶ円盤は実在する」がベストセラーになってETHが広まることで、天文学者の中にもそれを信じる空気があったんじゃないだろうか。
天文学者であっても専門外の事はいくらでもあるのだから、見たものが何かの誤認だということは十分に考えられる。博士の見たものを不思議なものとして肯定するにせよ否定するにせよ、慎重になりたい。

参考資料

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