ロサンゼルス空襲事件

1942年2月25日/アメリカ/カリフォルニア州ロサンゼルス市
Los Angeles, California, USA

概要

UFOを撮影したという写真
太平洋戦争開始直後のロサンゼルスをUFOが襲う!
恐怖に駆られた軍隊は高射砲を乱射するが…。

詳細

真珠湾攻撃3ヶ月後の脅威

防衛拠点付近で光と照明弾が目撃されたため、2月24日午後7時18分から4時間にわたって警戒体制が発令された。

翌25日の午前2時15分、レーダーが194km沖に未確認の物体を捕らえたため、2時25分からロサンゼルス市に空襲のサイレンが鳴らされ、灯火管制がしかれた。

午前3時16分、海上から侵入してくる未確認飛行物体に向けていく筋もの探照灯が照らされ、対空砲による砲撃を開始された。

飛行物体の種類は少なくとも2種類。赤か銀色をした小さな物体。
高い高度から編隊を組んで侵入し、最大時速29,000kmの猛スピードでジグザグに飛び抜けたという目撃証言もあった。
レーダーに捉えられた物体は地上から見ると発光しているように見え、しばらく停止した後内陸部に向かって移動し、カルヴァー・シティー上空で探照灯に捕捉されて写真を撮られた。
対空砲火にはびくともしない様子だった。

他の目撃者によれば、
「どこからともなく現れた小型の物体が空いっぱいをジグザグに飛び回って、突然姿を消した。」
「正確な数は把握できなかったが、30から40機はあろうかと思われる物体が高速で飛び回り、交差したり追いかけっこをしたりしていた。」
「6〜9機の白い発光体が編隊を組んでかなりゆっくり飛行し、自分達が起こした地上の騒ぎに気付いていないかのようだった。」という。

物体は時速75kmのかなりゆっくりした速度でサンタモニカの海岸まで進み、そこから南のロングビーチへ向かったところで見えなくなった。

対空砲火は午前4時14分までの間の58分間に1,430発の砲が撃ち込まれたが、一機のUFOをも撃墜することはできなかった。
UFOから爆撃などの攻撃は一切なかったが、高射砲弾の破片で建物に被害が出て、3人がパニックによる心臓麻痺で亡くなった。

事件が起きたのは日本による真珠湾攻撃の3ヶ月後である。
事件二日前の2月23日には日本海軍の潜水艦がサンタバーバラ北にあるエルウッドの町の沖合2.3kmに浮上し、燃料タンクに向けて20分間砲撃を加えた。
そのためルーズヴェルト大統領は全国民に向け、「アメリカの中に敵の攻撃から安全な場所はない」とラジオで警告した。日本の侵略に対する脅威は深刻であった。

事件翌日にはフランク・ノックス海軍長官が、「当夜戦闘機は一機も飛来せず、戦時下で神経過敏になっていたことによる、何かの見誤りであった」という政府見解を発表をしたが、数時間後に変更された。

軍の見解

ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長はルーズヴェルト大統領に宛てた文書の中で、自分の見解を以下のように述べている。(この覚え書きは長い間国防総省から存在を否定されていたが、後日情報公開法によって公開されたものだ)
未確認の飛行機複数がロサンゼルス上空にあり、対空部隊の射撃を受けた。
15機にのぼる飛行機がいたと思われ、飛行速度は非常に遅いものから時速200マイルまで様々な報告がある。
高度は9,000から18,000フィートの間。
投下された爆弾はなく、味方部隊の被害もない。撃墜された飛行機はない。
アメリカ陸軍機も海軍機も飛行していなかった。
調査は続行中であるが、もし未確認の飛行機が関与しているのならそれは民間機であり、敵の工作員が不安を煽り、対空砲の位置を暴き、灯火管制で生産性を低めるために飛ばしたと結論するのが妥当だと考える。
これは飛行速度がまちまちなのと、爆弾が投下されていないことからも裏付けられる。
UFOの飛行速度や高度の報告がまちまちなのは、実際にそうした様々な速度で飛んでいたというより、まともに計測ができなかったためだと考えられている。
深夜であり、相手はただの光の点なのだから、正確に計測する方が無理である。時速29,000kmと報告している目撃者も一人だけであった。
戦闘機は迎撃に出なかったのだが、夜間の戦闘訓練を積んだ人間が十分におらず、また上空には対空砲が飛び交っていたためだと考えられる。

続行中とされた調査の続報は見つかっていない。おそらくこれ以上のことがわからなかったためであろう。
米軍にしてみれば、相手を撃墜もできなければ、正体もわからないままであったのだから、大失態である。もし何も飛んでいなかったのにあれだけ砲撃したのであればなおさらの失態だ。一度出した政府見解をすぐに引っ込め、その後事件をうやむやにしてしまったのもそんな事情があると推察される。

現場付近地図



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考察

ケネス・アーノルド事件以前のUFO事件としては最も有名な事件である。しかしこの当時はまだ「空飛ぶ円盤」という呼び名も、「宇宙人の乗り物」という概念もなかった。ほとんどのアメリカ人は、日本やドイツなどの敵国の戦闘機による空襲ではないかと思っていたのだ。UFOの姿も光の点でしかない。

覚え書きの中では否定されたが、日本の潜水艦による攻撃などによって過敏になっていたところに、1952年のワシントンD.C.の事件でもそうであったように、レーダーのゴーストや珍しい気象現象、流星群などを見誤ってパニックになってしまったんじゃないかとも考えられる。
もしかしたらUFOのうちのいくつかは、自分らが灯した探照灯の光が雲に反射したものだったのかも知れない。
冷静でその道のプロである軍がそんな間違いを…と思うかもしれないが、人間のやることであるから完全なものはない。さらに何十年も前のことであり、今よりも機器の精度も悪ければ、情報や知識、経験も乏しい時代である。軍だって政府だって、間違える時は間違えるのだ。

もっともそれで全てのことが説明できるわけでもない。我々のように紙の上の記録でしか想像を働かせることができないのと違い、彼らは何かを体験したのかもしれない。
戦時中にはフー・ファイターと呼ばれる謎の火の玉に戦闘機が追い回される現象が、敵味方に関係なく起こっている。それが例え宇宙人の乗り物でなかったとしても、いまだ解明されない不思議な現象があることだけは確かなのだ。

参考資料


  • 並木書房・政府ファイルUFO全事件(ピーター・ブルックスミス(大倉順二訳))

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