パプア事件(ギル神父事件)

1959年6月26〜27日/パプアニューギニア(当時オーストラリア領)/ボイアナイ村
Boianai, Papua New Guinea

概要

UFOのデッキに現れた人影が手を振った!
プロジェクトブルーブックより
数年にわたってUFOの目撃が多発する中、キリスト教の神父達がUFOの搭乗者と手を振って交歓した。
非常に信ぴょう性の高い事件。

詳細/1958年以前のパプアUFO目撃例

一連の目撃を調査したクラットウェル神父
以下は事件を調査してまとめたノーマン・E・G・クラットウェル(Norman Cruttwell)神父による報告。
クラットウェル神父は現地に赴任していたイギリス人宣教師で、ギル神父とも旧知の仲である。
一連のUFO騒動に関して調査し、後に「パプア島の円盤騒動」という本を出版している。

1953年8月23日 ドルーリー氏一家の目撃

メルボルンのニューギニア島パプア地区民間航空局長官としてポートモレスビーに駐在中のT・P・ドルーリー氏から寄せられた情報。32種類の飛行機を操縦した経験を持つベテランパイロットで、気象学者でもある。
1953年8月23日午前11時頃。快晴で雲一つない空の下、妻子とともに海岸道路で風景を8ミリカメラで撮影していたところ、青空に突然小さな雲が現れてあっという間に大きな白い雲になった。気象現象に関心がある氏は、カメラの望遠レンズを雲に向けた。
南西のナパナパの方角に浮かんでいたその雲から、突然銀色に光る弾丸のような鋭い物体が雲の中から音もなく飛び出した。物体は超高速で45度の急上昇をし、一直線に青空の彼方に飛び去った。
あとには濃くて白い飛行機雲が残り、フィルムにもはっきりと写った。

ジャクソン空港に行って航空管制官に調べさせたが、当時飛行中だった航空機に該当はなく、当時パプア・ニューギニアを領有していたオーストラリアの空軍でも説明に困っていた。
撮影したフィルムは世界中に回覧されたが(雅注:研究者かマスコミかは記述なし)、正体は未解明のままで、ひどいことに一番いいコマを全て切り取られて戻され、後には積雲と飛行機雲しか写っていなかった。

ドルーリー氏は、妻子とともに目撃し映像にも撮影したので、絶対に真実だと主張している。

1955年5月 ネスパー博士夫妻の目撃

5月のある晩、ポートモレスビーの西、パプア湾内のユール島滞在中の医師のE・ネスパー博士が目撃。
月の半分ほどもある大きな円盤が緑色に輝きながら、約1分間ゆっくりと動いて消えた。
丘の自宅に戻ると、夫人も同じものを見ていた。

1955年か56年 ジャクソン氏の目撃

だいぶ後に報告されたものなので、1955年か56年かはっきりしない。
パプア航空支配人クリフォード・ジャクソン氏が、午前1時か2時頃に、ポートモレスビーの西70マイル(約113km)にあるイデイア島で、仲間と夜釣りを楽しんでいた。
(雅注:ネットの地図ではイデイア島なる場所は見つからなかった。ポートモレスビーの比較的近くにIdihi島というのはあるが…?)
西の空の低くに、月よりも大きく、輪郭がぼんやりとした赤く光る光体を発見した。光体はこちらに向かって前後するように大きさを変え、30分ほどで消えた。

1957年8月24日 ニニゴ諸島の怪光

1957年11月6日に、ポートモレスビーの新聞であるサウス・パシフィック・ポスト紙に掲載された事件。

8月24日、巡視士官F・V・エスデール氏が政府トロール船でニニゴ諸島のアフ水道を通過中、西の方向に怪光が出現し、ヨーロッパ人4人とともに目撃した。
大きな黄色い星のような形で約20分間同じ位置に停止した後、赤、緑、深紅に色を変え、狭い範囲を非常な勢いで動き回った。最後は再び緑色に色を変え、海中に落下したように見えた。
クラットウェル神父は「民政局長代理J・K・マッカーシー氏の名前で発表されたこともあって、信頼できると思われる」という。

詳細/1958年以降のパプアUFO目撃例

1958年2月上旬 ジャクソン空港での目撃

ラジオのローカルニュースで、ポートモレスビーのジャクソン空港上空に赤い怪光が出現し、空港の職員が目撃したことが報じられる。当時はクラットウェル神父が記録を取っていなかったので、正確な日付はわかっていない。
輝く光球のような物体は、北東のソジェリ(Sogeri)の方から高度約60mに降下し、そのままの高度で空港上空を横切り、急上昇して消えた。
この事は新聞に載らず、目撃者の氏名も非公表だった。
先のパプア航空支配人ジャクソン氏も事件があった事は認めたが、目撃当事者ではないし、クラットウェル神父も目撃者を突き止める事はできなかった。

1958年6月 カトリック教徒らの目撃

ミルン湾地区のサマライに近いシデイア島(サイドア島/Sideia と思われる)のカトリック教神父からの報告。
6月のある日(日中か夜かは報告では不明)、大きさも色も月のような円形の物体が、太陽よりも明るい光を吐きながら南方から飛来し、伝道本部敷地上空に5分間滞空した後、中空に消え失せるのを、5人の生徒が同時に目撃した。

1958年6月 グッドイナフ湾での目撃

この頃からクラットウェル神父の駐在するグッドイナフ湾でも動きが見られるようになってきた。神父はまだ重要性を感じておらず、日付の記録をしていない。

ある日の午後7時頃、伝道本部上空を怪光が横切るのをパプアの子供達が目撃。クラットウェル神父と母親が夕食の最中、外で「衛星だ、衛星だ」と騒ぐ声が聞こえてきた。原住民もすでに人工衛星の存在は知っていたという。
北西から南東へ、水平線を横切る星のような白い光だったといい、神父も急いで外に出たが、物体は見られなかった。

1958年10月8日 ワミラでの目撃

クラットウェル神父の義弟でドグラにある病院長でもある主任牧師兼医師のJ・K・ヒューストン博士からの報告。
ワミラ村で夕方の礼拝を終えた午後6時半頃、日没後のまだ薄明るい空に星のような輝く光が現れ、規則正しく明滅しながら南から北へかなりの速度で動いて行った。

その夜遅く、博士と夫人(クラットウェル神父の妹)が家の中にいると、また怪光が海上を動いていくのをパプア人の子供達が見つけ、「衛星だ」と叫んだので博士夫妻も飛び出したが、最初は木の陰に隠れた後なのか見えなかった。
探し続けていると、雲ひとつない星空にいきなり信号弾のような目もくらむほどの緑色の閃光が現れ、高速で北から南に移動した。
伝道本部南東3マイル(約5km)のフレア岬上空にさしかかって風景が青白く照らし出されたが、やがて音もなく消えた。

約2.5km離れたドグラの伝道本部でも、ブライアン・スイート氏がこの怪光を見ていた。
互いの目撃から計算して、緑の光は約900m〜1.5kmの高さにあったと推定される。

クラットウェル神父は、当地では夜間に飛行機が飛ぶことはないし飛んでいたなら爆音が聞こえるはずだとして、飛行機とそこから投下された照明弾説を否定した。同様に湾内に船が一隻もなかった上、船からの信号弾にしては高すぎるし、煙も尾も見えなかったとしてこれも否定した。

クラットウェル神父に関係した目撃

  • 1958年11月22日
    • 場所不明(雅注:おそらくメナピ)。子供達が見たと騒ぎ出す
  • 1958年11月29日
    • メナピ。神父は教会の中だったので見られず
  • 1958年11月30日午後6時50分。
    • メナピ。頭上を通過する白銀色で一等星くらいの明るさの光体を神父も目撃。約15秒周期で明滅しながら約3分かけて夜空を横切った
  • 12月1日午後6時45分頃
    • ポートモレスビー郊外のブロコ(雅注:おそらくBoroko)。住民が1機のUFOを目撃。明るい星に似た白いの光体で数秒おきに明滅しながら約3分かけて東から西に飛び、水平線近くで消える。
    • 翌日のラジオニュースでも報じられる
ドグラでは5日連続で目撃される。(雅注:日付不明)
物体は必ず北西から現れ、南東方向にまっすぐ飛行した。(ただし毎晩少しずつ北東にずれたが、前の晩のコースと平行に飛行した)

UFOらしき光体を実際に目撃したクラットウェル神父は、ロンドンのUFO雑誌「フライング・ソーサー・レビュー」(FSR)誌に意見を求めたところ、同誌および国際UFO観測団体の現地調査員を依頼されて引き受ける。

詳細/1959年からの目撃

昨年12月の目撃以降、約4ヶ月は何の目撃もなかった。

1959年3月19日午後6時45分頃 メナピから5マイル(約8km)ほどの地点

(雅注:位置がはっきりわからない。メナピから約8km、本島から幅32kmばかりの海を挟んだフォーゲル半島南側、グッドイナフ湾に面し、湾の反対側にオーエン・スタンレー山が見える場所という)

パプア人牧師のアルバート・M・リリカ神父と、教師のオーガスティン・ボギノが礼拝から帰宅途中にグッドイナフ湾に面した海岸で、湾の向こう側のオーエン・スタンレー山上空に明るい白い光が浮かんでいるのを目撃。
その日の半月とまったく違う方向に出ていたそれは、少し小さい月のようで、「ティリー・ランプが浮かんでいるようだった」という。
ティリー・ランプ
Tilley INTERNATIONALより
目立った動きもなく、10分ほどは見えていたが、小さな森を抜けた時にはもう見えなくなっていた。
近くの海岸の家でも2人のパプア人が同じ光を目撃していた。
金星は全然別の方角に出ていた。

1959年3月27日 ドグラ付近の聖アイダン学校

まだ明るい午後5時半〜6時の間、ドグラ付近の聖アイダン学校の大勢の生徒がティリー・ランプのような光体が空を動いていくのを目撃。海の方から現れ、フレア岬の方からドグラの上空を横切り、南の「聖なる御名学園」の方の地平線上空に消えた。

1959年3月27日 ドグラ沖

同じ頃、白い光が西の方向にあるドグラ沖を飛行しているのをジョージ・アウイ技師他数人のパプア人が目撃。
星のように見えたがずっと明るく、5分ほど見えた後に急に見えなくなった。

1959年3月27日(?) ミディノ

さらに同じ頃(雅注:日付が同じかどうかは不明)、ダガ地区の高地土民の一団が、コリングウッド湾沿いのミディノで、ティリー・ランプのような白い丸い光体が北西から近づいてきて、頭上のかなり低空を通り過ぎ、南東に音もなくまっすぐ飛んで行った。
彼らは大いにおびえ、その事をクラットウェル神父に知らせた男は、白人の作った新型飛行機ではないかと疑った。

ティリー・ランプのような飛行物体は4月以降もギワ、ドグラ、メナピ、サマライ近くのサリバ、コンフリクツ、シューデスト諸島でも目撃され、白人、パプア人、陸上、船上を問わなかった。
共通するのは明るい星、船の灯りのような、ティリー・ランプのような白い光が、ある時はまっすぐ、ある時は上下に波状飛行をした点である。
数ヶ月後には誰もが慣れてしまい、報告されなかった目撃も多いと思われる。

1959年4月21日 ギワ

午後7時頃、ギワ村のオーストラリア人商人D・L・グラヴァー氏が自宅から、湾の向こうに見えるプディ山上空に白い明るい光を目撃。
やはりティリー・ランプのような感じでどんな星よりも明るかったが、形は識別できなかった。
北東にゆっくり移動しながら高度を上げ、海上でしばらく滞空した後、同じコースを戻って最初のプディ山上空で消えた。全部で5〜10分程度だった。

1959年5月24日 バニアラ島

バニアラ島の行政部にいた地区行政官補佐ロナルド・オーウィン氏と巡視官ロバート・L・スミス氏が、公舎のベランダで午後7時頃から45分間に渡って目撃した。
西の空に現れた特に青い星が音もなく動き出し、色を変え、消えたり現れたりしながらふらふらと主に南西の方向に進んだ。
それは最後、南東にあるドグラ付近の山々の上空で赤っぽい色の閃光を発して消えた。
目撃は無線で上部に報告され、ローカル新聞にも取り上げられた。

1959年5月のある土曜日 シデイア

サマライに近いシデイア(おそらくサイドアのこと)のローマ・カトリック伝道本部で、緑色をした大きな長円形の物体が北の空を北西に移動しているのを9人の生徒が見つけた。星よりもはるかに大きく、速度も速かった。

1959年6月16日 高地での聞き取り情報

クラットウェル神父は6月に入ると、伝導という本来の仕事でダガ地区の高地支部に行くことになった。怪光の多くは山の方で出現、消失をしているので、神父は原住民に聞き取り調査を行った。
いずれも高地での目撃で部落のある峡谷からの目撃はない。谷が細長くて空が狭いのと、夜は窓を閉めて室内にいるせいかもしれない。

6月16日 ドゥムラ峡谷

狩のため高度1800mのドゥムラ峡谷に野宿していた16人のパプア人が、黄色に輝くティリー・ランプのような明るい光を目撃。比較的低空をホタルのように飛び、山腹を月よりも明るく照らした。

6月16日 マイグヮリプ

高度2100mのマイグヮリプで野宿中の狩人達が、午後6時半頃に稲妻のような目もくらむほどの閃光と、月よりも小さいがずっと明るいクリケット・ボールのような光体が南に飛んでいるのを目撃。色が緑、白、赤と変化し、周囲を取り囲む放射状の光線とともに反時計回りに回転していた。
彼らはひどくおびえ、白人の新兵器だろうと話あったという。

6月17日 マナマン山中腹

午後8時頃、教師のマイケル・ブモモイと友人のアウナクが、狩の後にマナマン山の中腹2400mで野宿していると、雨の中を白と赤の閃光が雲の中を矢のように飛び去るのを目撃。

6月24日頃 ドアナイ山

ドアナイ山登った11人の山男が、高度2400mの空き地で野宿中、午後8時頃にティリー・ランプのような明るい光が山頂上空からいきなり現れ、たいまつのような長い光の尾を引きながら、頭上300mほどを北から南に高速で飛んだ。
木陰に隠れた後に雷のような轟音が一度聞こえたが、怪光によるものかはわからない。

詳細/ギル神父事件

一連の目撃騒動の中核をなす、ギル神父らによる衝撃的な目撃事件である。
ウィリアム・ブース・ギル神父(William Booth Gill/1928〜2007)はニューギニア島パプア地区ボイアナイ全聖者伝道本部長の白人宣教師である。当時31歳前後。
オーストラリアのブリスベーン大学出身で、写真のとおり誠実な面持ちの紳士だ。
若かりし頃のギル神父
何歳の写真かはわからないが、事件当時31歳前後なので、このような容姿だっただろう。
AUFORN.comより
(これまで日本ではジル神父と紹介されてきたが、ネイティブの発音だとギルと思われる。ASIOSの「UFO事件クロニクル」でもギルを採用していることもあり、UFO事件簿でもそれにならって統一したいと思う)

ギル神父の最初の目撃は、少しばかり時間をさかのぼる。

1959年4月9日 プディ山の山腹

午後6時50分頃、ギル神父が遠方の支部を訪問した帰りの小舟から、ティリー・ランプのような明るく動かない光がプディ山の中腹で白く光っているのを、同乗のパプア人達と目撃。
誰かがランプを持って登山していると思いあまり気にせずにいたが、5分後に気づくと光は消えていて、また5分後に全然反対側の山腹に再び光が見えた。次に気づいた後はもう光は現れなかった。
翌朝に光の見えた山腹を確認すると険しい絶壁しかなかった。

6月21日 スティーブン・ジル・モイ牧師の目撃

スティーブン・ジル・モイ
AUFORN.comより
6月21日午前1時頃、パプア人牧師スティーブン・ジル・モイ(Stephen Moi)が自宅を出ると、ボイアナイ伝導本部の少し西の高空から、白く光る物体が音もなく降下してくるのを目撃した。
物体は海岸沿いに東に飛び、90mほど上空で滞空。輝きが少し収まると、コーヒー皿を裏返したような形で、下側に黒い丸い点が4つ見えた。
やがて円盤は上昇して雲の中に消えた。
ギル神父によると、モイ牧師はそれまで空飛ぶ円盤について何の予備知識もなかったという。
【参考】ボイアナイの教会(1921年頃)
オーストラリア国立図書館より
【参考】ボイアナイの教会(1921年頃)
オーストラリア国立図書館より

6月26日の目撃

26日の目撃のギル神父によるスケッチ
搭乗員の番号と、上空に発せられた青い光線が描かれている
26日には同じ場所に数機のUFOが現れ、4時間に渡って目撃され続けた。目撃者は38人にのぼる。
後年、インタビューに答えるウィリアム・ブース・ギル神父
YouTubeより
午後6時45分頃、ギル神父が家の角を曲がろうとすると、西の空、約45度の高さに、巨大な発光体があることに気がついた。神父はその時は、それを空飛ぶ円盤などとは思わなかった。
ギル神父は助手のエリック・コダワラ(雅注:エリック・ラングフォードとも?)を呼び、「上に何が見えるかね?」と尋ね、彼は「光るものがいるようですね」と答えた。
ギル神父はエリックに「じゃあ、スティーブン・モイ先生の所に行って、すぐ来るように言いなさい」と伝えた。

エリックはモイを呼びに行きながらありったけの人を呼び集め、みんなでUFOの様子を見続けた。
  • 遠くでは白く、近くでは薄いオレンジ色に光って見えた
  • 表面は金属のよう
  • 上甲板は基部より少し狭い
  • 一種の脚がある
  • 時々青い光線を約45度の空に照射していた
  • 窓が4つあったという証言もある
  • 乗員は4人が出たり入ったりを繰り返していた
  • 宇宙服のようなものを身につけていたかどうかは不明(衣服を着ていたならピッタリ体に合っていたと思われる)
  • UFOも乗員も後光のような輝きに取り巻かれていた
  • 彼らの体と機体の輪郭と、この後光の間に一定の隙間があり、決して接することはなかった
  • 皮膚の色が識別できるほど近くはないが、白人らしい
その後ギル神父達は遊び場へ行き、そこでも目撃を続け、ノートと鉛筆を持って来て記録を始めた。

「もしこの世に不思議があるのなら、今こそそれが起こっている。でもきっと、明日目が覚めたら、あれは夢だった、本当は何も見ていなかったのだ、と思うだろう。でも、その場で書き留めておきさえすれば、少なくとも夢を見ていたのではないとわかるでしょう。」
(雅注:スティーブンとエリックのどちらが先に来たかについては、このギル神父の証言と、ノートの記録との間に矛盾がある。おそらく勘違いで、ノートの方が正しいのだろう。)

以下、ギル神父のノートの記録を基にした、時系列にそった目撃報告。


対岸ギワからの目撃

同じ時刻に対岸のギワの沖合いでも、サマライの貿易商アーネスト・イーヴネットが目撃していた。
午後7時のニュースを聞いていると、明るく輝く緑色の光体が白い炎をの尾を引きながら北北東から飛んで来て45度の高さに静止。UFOは窓以外の灯りが消えた。
シルエットはラグビーボールの形で、こちらを向いた4〜5つの半円形の窓があって、その上に輪か帯のようなものが物体を取り巻いていた。
大きさを18〜24mと推定。
4分ほど対空の後、「ウーンプ! ウーンプ! ウーンプ!」と聞こえる音を発して明るい緑色に輝き、矢のように飛んでボイアナイ西方の山陰に消えた。

クラットウェル神父は、ギル神父達が見たのとは別の種類のUFOかもしれないが、斜めから見るなど見かたが違ったのかもしれないし、足も引っ込められていたのかもしれないと述べた上で、互いに知らないギル神父とイーヴネット氏が同じ夜、15マイルも離れた場所で同じような話をでっち上げるとは考えられないとした。

6月27日の目撃 手を振る宇宙人!?

UFO出現をギル神父に知らせたパプア人のデイジー・コラウナ(左)とアニー・ボレワ
翌27日午後6時頃、ギル神父達が歩いていると、病院の看護婦の一人、パプア人看護婦アニー・ローリー・ボレワ(写真右)が大きなUFOに気付き、ギル神父に知らせた。
ギル神父は教師のアナニアス・ララタを呼ぶ。

UFOは、今まで見たうちで一番近い90〜150mくらいの所に降りてきた。(クラットウェル神父の本では「前夜より遠いせいか、少し小さく見えた」という)
昨夜同様の母船と思われる大型のUFOと、その近くに2機の小型UFOが見えた。
あたりまだ暗くはなく、UFOも明るく輝いていたが、すぐ近くで、非常にはっきりとその姿を見ることができた。
そして例の人影がまたもや大型UFO上部の、ギル神父言うところの甲板(デッキ)に出てきた。

一緒にいた先生「遊び場に着陸するつもりだろうか?」
ギル神父「もちろん、そうでしょう」
(雅注:この先生というのが誰のことを指すのかは不詳。スティーブン牧師か、証言テープ録音時に同席した同僚のフレッド・ベックマンと思われる)

ギル神父達が「こんばんは」というように手を振ると、驚いたことに、手すりにもたれて下を見下ろしていた一人が手を振り返してきた。
アナニアスが両手を上げて振ると、二人が同じことをした。
ギル神父とアナニアス(助手のエリックともう一人の若者という資料もあり)が手を振ると、4人全員が手を振り返した。
喜びと驚きで、皆大きなため息をついた。

証言に基づいてノーマン・クラットウェル神父が描いたスケッチ
こうした交歓が何分か続いた後、UFOの彼らは興味を失ったのか、青いスポットライトが数秒間、2度に渡って点灯され、UFOは3機とも姿を消した。
(雅注:文字通り消え去ったのか、飛び去ったのか、雲の中に隠れたのかは記述がない)

午後7時に、目撃者全員が夕方の礼拝に出席。45分後に出て来たときはすでにUFOの姿は一機も見えなかった。

突然の爆発音

その晩10時40分、ベッドで休んでいたギル神父はドーンという物凄い爆発音を聞いた。驚いたギル神父と、普段大きな雷鳴程度では目覚めないパプア人を含む本部の職員達も、寝台から飛び降りてすぐさま外に飛び出した。
UFOが着陸でもしたのかと思ったが、何も見当たらなかった。

この後も、6月〜8月にグッドイナフ湾岸各地から目撃情報が相次いだ。その数は60件にものぼった。

UFOの大きさはもちろん正確なところは不明だが、ギル神父の推測では、乗員の身長を1.8m程度とすれば、UFOの直径は基部で約11m、上甲板で6m程度だという。
他の人達によるスケッチ
「UFOと宇宙」より
なお、26日か27日かは資料がないので定かでないが、UFOの目撃中に食事に行った人もいたようだ。
笑い話のようでもあるが、これだけ長時間に渡って出現していれば、その間に食事やトイレ、その他の仕事をすることは当然やむを得ないことだろう。
一生の間にまたとない出来事の最中であるが、それを全員で観察し続けなければいけないわけでもないのだから。

ギル神父の手紙

ギル神父が事件について、隣の教区の友人に宛てて書いた手紙を、以下に一部引用する。
最初の手紙は、26日の4時間に渡る目撃の後書かれたのだろう。手紙を出したのは27日と思われる。
親愛なるデイウィッド。
私は今や来訪説をほとんど確信している。これらの“物体”が存在することを疑わない(実際、疑うことができない。この目で見たのだから)が、それでも私の素朴な心は、外宇宙からの訪問説を受け入れる前に、科学的説明を要求している。
私としてはむしろ、UFOの多くは何らかの形の電気現象であり、「もしかしたら原爆の爆発などが生み出したものだと信じたい気がするが…難しすぎて私には理解できない。
疑り深きウィリアムより
次の手紙はおそらく27日の昼間に書いて出されたと思われる。
前の手紙を出してから昨晩のことを回想し、疑いが確信に変わったのだろう。

親愛なるデイヴィッド。
昨日、私は君に手紙を書き…UFOについて意見を開陳した。24時間とたたぬ今、私はちょっと見解を変えた。昨晩、ボイアナイの私達は、約4時間のUFO活動をじかに体験したのだ。UFOがある種の生物によって動かされているということは、もはや疑う余地がない。時折、思わず息をのむような場面があった。
ここに報告がある。どうか、それを回し読みしてくれたまえ。でも、慎重の上にも慎重を期して…
確信を抱いたウィリアムより

6月28日の目撃

午後6時45分頃から1機のUFOが現れる。
その後次第に数を増やし、午後11時には8機ものUFOがボイアナイ上空を乱舞した。高度はかなり高く、人影も確認できなかった。
11時20分頃、鉄板を落としたような鋭い金属製の音が伝道本部の上空に響く。
11時30分には皆寝室に入ったが、UFOはまだ上空を飛び回っていた。

その後はボイアナイ上空のUFOも鳴りを潜めたようで、ギル神父の報告もここで終わっている。

ギル神父のインタビュー動画


6月27、28日 バニアラでの目撃

27日の目撃

午後7時40分、バニアラ北北西約2400〜2700m上空に丸い光体が白く輝いているのをR・L・スミス氏が発見。
ミルン湾バニアラ区副知事ロナルド・オーウィン氏も教えてもらい、夫人とともに目撃。
しばらく滞空していた光はゆっくり西に動き始め、下部から規則正しく明滅する緑色の3本の光線を放射した。
この光線はスミス氏によれば針のように細い光で、点滅するのでなく、出したり引っ込めたりしているように伸縮しているようだったが、決して脚のようなものではなかったという。
空にところどころ雲があり、光体が通過すると雲もぼーっと照らし出されていた。
波止場から見ていると、光る本体の下に、青銅色の円盤が一定間隔を保ってついてきていた。
二つの光体は8時45分に西の空の低い雲の陰に消えた。

28日の目撃

午後6時20分、オーウィン氏と妻が前夜の光体が同じコースをやってくるのを目撃。やはり青銅色の円盤がくっついてきていた。
昨夜は30分かけて進んだのを1分で進み、その間に1500mほど降下した。(雅注:おそらくこの時)青銅色の円盤の方は、メインの光体が高度を下げた時に本体の中に飛び込むように消えたという。
加速すぐにつれて光度を増し、水面に光が反射した。
オーウィン氏は着陸すると思ってパジャマ姿の裸足のままで波止場まで走って行く。
光体は西の空に静止し、8時5分からはスミス氏も観察に加わった。
光体は9時15分に姿を消した。

役所を訪れた海軍情報士官は、方角から見て金星だろうと話していたが、オーウィン氏は今でも違うと思っている。

現場周辺地図


より大きな地図で UFO事件マップ を表示
おおよその現場の地図であって、正確な地図ではない。
The Big Studyより
アップルの地図上に、上記地図にある地名を付けてみた
位置は正確じゃないかもしれない
ここが現在のボイアナイと思われる
また、ここに現在のパプア・ニューギニアのより詳しい地名入り地図があった。
ボイアナイは地名というよりボイアナイ・ミッション(教会)として見つかった。

真偽についての見解

オーストラリアのビクトリア州空飛ぶ円盤協会ピーター・ノリス会長は1959年9月に空軍情報部に事件について問い合わせた。
F・E・ラング中隊長の署名入りで、以下のように回答した。
「ギル神父以下38人の目撃した物体は有人飛行機ではないと確信する。方位と角度の分析から光体のうち少なくとも3つは木星、土星、火星であると思われる。光の屈折と熱帯の複雑な気象状態のため、光体が運動したように感じられることがある」
当時の星空
星図ソフトで事件当夜(7時)の西の空を再現してみた。
金星、火星が出ているが、ともに9時には沈んでしまう。
木星も天頂付近に昇っている。

否定派ドナルド・メンゼルの意見

ハーバード大学の天文学者にして、“UFO最大の敵”を自称する強硬なUFO否定論者のドナルド・メンゼル博士は、著書「パプアの神父事件の分析」の中で、ギル神父がそのとき眼鏡をかけていなかったという仮説のもとに、事件全体を金星の誤認としている。
しかしUFOが時々空一面の雲の下で目撃されている上、金星はギル神父によって別に指摘されている。さらにギル神父はその時、正しく調整された眼鏡をかけていた。

腑に落ちない宇宙人の行動

ギル神父の人間的信用性、目撃者の数などから、信憑性の高い事件とされている。しかしなぜ友好的に手を振り返してきたであろうか。手すりにもたれて見下ろしていたというのはなんとも人間臭い動作に映る。
もし米ソなどの秘密兵器だったとしたら、4時間にもわたり人前に姿を現し、なおかつ手を振って応えるのは腑に落ちないように思う。
アメリカ空軍は、「光体のうち3個は木星、土星、火星であると考えられる」とし、それが飛行しているように見えたのも、光の屈折と熱帯特有の気象現象のせいであるという調査結果を発表した。しかし母船とその乗員については何も触れていなかった。
残念なのは最高4時間も飛び回っていたのに1枚も写真が撮られていないことだ。カメラを持っていなかったのだろうか。

プロジェクトブルーブックの報告

米空軍のUFO研究組織、プロジェクトブルーブックにも報告がまとめられている。
推測される結論としては「天体の誤認」になっているが、ギル神父の時系列に沿った目撃報告やイラストも掲載されている。
それほど多くないので(18ページ)、いずれ全訳を試みたい。

参考資料

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