2016年4月14日木曜日

宇都宮事件

1958年(昭和33年)9月中旬/日本/栃木県宇都宮市
Utsunomiya-shi, Tochigi-ken, Japan

概要

市役所職員の男性が、山の中でUFOと外国人に見える二人の男に遭遇。
男達はわけのわからぬ言葉でしゃべり、UFOの中に乗り込んで去って行った。

詳細

9月中頃、午後の2〜3時のこと、昼食を終えた男性が自宅裏手の森林を越えた山の中に入って行った。
男性は宇都宮市役所の要職に就いており、資料において名前、住所などは明かされていない。
資料中の表現を用いると「人里離れた山稜」とのことだ。なぜそこに向かったかは書かれてはいない。食後の散歩だろうか?
そのような時刻に山の中に行ったのであれば、仕事のある平日とは考えにくい。当時は週の休みは土曜の午後と日曜だ。いずれかの曜日であることが推測される。

とにかく、森の中を歩いていたところ草むらの中に、B29爆撃機の救難用投下タンクのような大きな金属性の物体が横たわっているのを発見した。

B-29の底部に積まれた投下式救命艇
Wikipediaより
B29の救難用タンクというのは、海上に投げ出された兵士を助けるために、B29に自走式の救命艇を積んで救助に行く場合があったそうだ。戦時中や終戦後間もなくは、そんなものを目にする機会があったんだろうか?
  • 大きさ5m弱
  • 遠くから見たときは細長いもののように見えた(この後浮上してからは楕円形よりやや丸く見えたという)
  • 飛行機のようなジュラルミンに似た色で、光沢がない
不思議に思った職員の男性が物体の20mほど近くまで寄ると、突然外国人のように見える二人の背の高い男達が現れ、前方の男がわけのわからない言葉でしゃべりかけてきた。

男達の容姿は以下のようなものだった。
  • 話しかけてきた方
    • 非常に柔らかそうな布地の白のオープンシャツ
    • ナス紺色のズボン
  • もう一人の方
    • 灰色の襟のない服またはシャツ
    • 作業ズボンのような肩から吊るすものを履いていた
  • 二人共通
    • 一見して普通の外国人と変わらない
    • 背が高い
    • 帽子はかぶっていない
    • 靴はズボンでよく見えなかった
職員の男性は英語がまったくわからないため、それが英語だったかどうかすらわからない。
男性がわからないと言って首を横に振っていると、外国人の男は小枝を拾って地面に線を描き、男性の足を指差して何か手振りで示した。男性は「ここから出てはいけない」と言っているんだと理解し、うなずいて見せた。それを見た男達はうなずき合い、物体の方に引き返して行った。

UFOに乗り込んで去る男達

男性が見ていると、先ほど後ろにいてしゃべらなかった男が腕を物体にふれた途端、扇状の開口部ができた。
男達はその中に頭をかがめて入っていき、再び入口が閉ざされた。
男性はそれを呆然と見守り、「何かが故障して不時着したんだろう」程度に考えていた。

やがて引き返そうと5〜6歩歩いて振り返った時、目にした光景に身動きできなくなった。
物体の周囲に、薄だいだい色のかげろう状のものが放射されているように見えた。
地の底から聞こえるようなかすかな震動音が聞こえると、物体は凧のように突然フワーっと10〜20mも浮かび上がった。
そのまま5〜10秒ほど上空に対空した後、一瞬のうちに天空に吸い寄せられるように弧を描いて上昇して行った。
爆音のようなものは一切聞こえなかった。

男性はそのまま引き返したので、着陸痕のようなものは確認しなかった。体の異常なども感じなかった。

当時はその正体が皆目見当つかず、巷で話題の空飛ぶ円盤だとも思わなかった。人が乗っていたことから一種の新兵器ではないかと考えたが、飛行服や軍服のようなものを着ていないのが不思議だった。

男性は家族にこの事を話したが、「いい年をして狐にでも化かされたんだろう」と笑われてしまったという。

事件明るみになる

後日、男性が市役所のレクリエーションの会合で、同市内のデパート上に新設された円盤メリーゴーランドの話にちなんで口にしたのを、当時あった日本初期のUFO研究団体の一つ、宇宙友好協会(CBA)の関係者が耳にしたことが、この事が世に出たきっかけであった。
(かつて宇都宮市では、少なくとも東武宇都宮百貨店と西武百貨店、現存はしないが事件当時に存在した山崎百貨店に屋上遊園地があった。このケースがどちらかはわからないが、東武百貨店は1958年6月に開店したという。)

CBAは事件から半年以上たった後、直接男性に会ってインタビューしている。
目撃者の男性は空飛ぶ円盤の知識がまるでなく、そうだったのかどうかの判断もつけられないと語る。しかしわざわざやってきたCBA記者の顔を立ててわかる範囲で回答をしてくれるなど、人格は申し分ないという印象だったという。
記者は最後に、「夢を見たのではないか」と尋ねたが、男性は「いいや、その点ははっきり申し上げられますよ。」と言い切っている。
記者は現場を訪ねたが、もう痕跡は見つからなかった。

現場周辺地図


より大きな地図で UFO事件マップ を表示
人里離れた山稜というのがどこか。
宇都宮の北西のはずれ、日光市との境界付近には、古賀志山、鞍掛山などの比較的低い山がある。北の方にも、現在多くがゴルフ場になっているが、飯盛山、羽黒山などの低い山がある。
どれほど山の中なのかはわからないが、自宅の裏から歩ける範囲のようなので、通勤もあるし、市役所の要職者の自宅ということからしてもそんな田舎ではないだろう。
1958年当時で役人の重役が住めるような(高級?)住宅地が近い場所はどこだったのだろうか。

考察

筆者の地元宇都宮の事例であるが、このような話はまったく耳にしたことがなかった。
念のため地元紙の下野新聞、栃木新聞のバックナンバーを調べてみたが、少なくとも1958年8月9月には載っていなかった。
情報公開の経緯からして、CBAの会誌(空飛ぶ円盤ニュース 1959年6月号)に載っただけで、一般紙には載らなかったのだろう。(それをソースにしたと思われるいくつかのUFO本で紹介されている)

仮に目撃が事実であれば一体何だったのか?
音もなく上昇できる乗り物としては気球、飛行船などが考えられる。
気球説があるものとしてはソコロ事件を思い出すし、森の中の二人の宇宙人との遭遇という点ではチェンニーナ事件を連想した。

異形の怪物としての宇宙人ではなく、見た目が外国人という点が引っかかる。当時外国人の認識といえば、ほとんどアメリカ系の白人のことだ。UFOについてはさておき、宇宙人(?)が外国人にしか見えなかったのであれば、素直にただの外国人だったのではないか。

UFOの「手を触れると開口部ができた」「周囲に薄だいだい色のかげろう状のものが放射」「音もせずに浮かび上がって飛び去る」などの挙動が、オーバーな表現である可能性も考慮したい。
突然目の前に見たことのない物体があり、言葉の通じない外国人がいれば、冷静な判断と記憶力を失い、不思議なものに見えてしまってもおかしくないのではないか。

手を触れるとできた開口部も、SF的な想像ではつなぎ目も何もなかった金属の壁に突如口が開いたかのようだが、単に元からあった乗降口を開くためのボタンを押したのかもしれない。
UFOの周囲が光って見えたのも中の灯りが漏れて見えただけかもしれない。

図もなく、情報も不十分なため、判断つけがたいことである。
気球、飛行船あたりを調べれば何か糸口がつかめるかもしれない。

情報源について

今回の情報源は主に平野威馬雄氏の1960年の著書によったが、大元は取材をした宇宙友好協会(CBA)の会誌「空飛ぶ円盤ニュース」と思われる。
バックナンバーの表紙と概要が見られる
CBAといえば日本のコンタクティの走りで、終末論を唱えたカルト団体だ。1960年前後からカルト化が顕著になってきたようで、1958〜9年頃はギリギリか。
被験者の名前などがはっきり確認できないので、事件そのものの有無についても注意したい。

参考資料

  • 高文社/それでも円盤は飛ぶ!(平野威馬雄)
  • 二見書房/宇宙からの侵入者(南山宏)
  • 資料協力、ペンパル募集さん(Spファイル、ASIOS)、どろ美さん

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。