1948年7月7日/メキシコ/ヌエボ・ラレド付近?
Nuevo Laredo, Mexico?概要
1948年にアメリカとの国境付近のメキシコ領内にUFOが墜落したという情報があった。その後、それに符合するような写真が、撮影者の海軍のカメラマンを名乗る人物から研究家のもとに送られてきた。
それは2枚の奇怪な黒こげの生物写真であった。この黒こげ遺体は丸い頭部のため、トマトマンと呼ばれている。
詳細
人か、サルか、宇宙人か?
同じ死体を機体から出し、草むらに仰向けにしたとされる写真 同じ死体には見えないという人もいるが、同じ死体に見えないこともないと思う。 |
1948年のUFO墜落の情報
1977年、UFO研究団体GSW(Ground Saucer Watch)の元研究部長トッド・ゼッケル(Todd Zechel)が、元空軍大佐、空軍憲兵司令官などから以下のような情報を聞き出した。
(情報提供者は、それぞれ後にバート・ウィリングハム氏とジョン・ボウエン(John W. Bowen)氏だと言われる)
UFO研究家、レオナード・ストリングフィールド RoswellInvestigator.Comより |
それをUFO研究家のレオナード・ストリングフィールドが1978年のMUFON(ムーフォン/相互UFOネットワーク)のシンポジウムで発表した。
1948年テキサス州ディアス空軍基地を飛び立ったF-94戦闘機が、ニューメキシコ州上空でUFOを目撃。レーダーでもとらえられた。
メキシコ領内に30マイル(約48km)ほど入ったと思われる地点で、レーダースクリーンから消失した。
すぐに回収部隊が現場に向かい、直径90フィート(約27.5m)の金属製円盤と、搭乗者の死体1体を回収した。
死体は身長4.5フィート(約135cm)で、全く毛が生えておらず、手には親指がなかった。
回収に関係した人々は固く口止めされた。
日付は7月7日だという説がある。
ロッキードF-94スターファイアジェット機は1949年まで使用されていなかったので、実際にはロッキードP-80シューティングスタージェット機だった可能性がある。
航空機による追跡が、UFOの墜落に影響を与えたかどうかはわからない。
関連が疑われる2枚の写真
1978年12月に、この情報にあった2枚の写真が出てきた。
それはMARCEN(Mutual Anomaly Research Center and Evaluation Network /異常の調査と評価ネットワーク)という民間UFO研究団体の創設者であるウィラード・F・マッキンタイア(Willard F. McIntyre)のもとに郵便で送られてきたもので、焼けこげた体、大きな頭、かぎ爪のような手をした小柄な二足歩行生物が写っていた。それが冒頭の2枚の写真である。
(注:写真を見る限り、かぎ爪の手というのは判断できないと思う)
これらはテネシー州の退役米海軍カメラマン(1980年時点で在籍中との情報も?)が、1948年にテキサス州とメキシコの国境沿いでのUFO墜落現場で撮影したという。
マッキンタイアは1981年までにそのカメラマンと郵便で連絡を取り、この墜落事故について詳細を聞いた。
またMARCENがカメラマンの兵役記録を徹底的に確認し、彼が誰であるかを特定したという。
写真の公開
写真は1980年4月にオハイオ州UFO調査連盟(Ohio UFO Investigators League/OUFOIL)のディレクターであるチャールズ・ウィルヘルム(Charles Wilhelm)が初めて発表した。
1980年11月に日本の「UFOと宇宙」誌に通信社から持ち込まれた際には、「これは宇宙人の死体か」というタイトルの英文3ページにわたる説明が付いていた。執筆はティモシー・ジャクソンなる人物。
以下はそれの要約。
写真を公表したのはUFO研究グループ代表のチャールズ・ウィルヘルム。
彼に写真を渡した撮影者は1948年に米海軍に服務中、メキシコ北部でこの黒こげの生物と宇宙船の残骸を撮影した。
彼はネガフィルムを放棄せざるを得なくなったため、こっそり写真を焼き増しし、30年以上保管していた。
彼は、この写真が公表されないように、今でも海軍から監視されていると考えている。
彼によると円盤墜落時、メキシコとアメリカの当局が調査し、残骸と宇宙人の死体をオハイオ州のライトパターソン空軍基地に運び去った。
UFO研究基金のレオナード・ストリングフィールドはこの写真について「写真が偽物とは思わないが、当時は猿を乗せたロケットの発射テストがたびたび実施されていたことを考えると、ロケットが墜落し、死んだ猿が撮影された可能性がある。」と述べている。
また、ベトナム戦争で爆撃を受けた現場の写真だとする意見もある。
しかし前年の1947年にニューメキシコ州のロズウェルに円盤が墜落し、やはり残骸と死体がライトパターソン基地に運ばれたという噂があったことから、これを本物とする人々もいる。
撮影者は氏名の公表を拒否している。
撮影者が「墜落現場には強い硫黄とオゾンの臭いが立ちこめていた」と言っていたという話もあるが、正しい情報かどうかはわからない。
メガネ?
メガネだと言われるもの |
現場周辺地図
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考察
軍隊のことには詳しくないので恐縮だが、海軍に勤務中のカメラマンが、空軍による秘密の回収作業に従事して写真撮影をするものだろうか?(遺体の回収先はライトパターソン空軍基地だ)
日本なんかだと陸海空の自衛隊は縦割り行政で、仲もあまり良くなかったりすることがある。
ヘルメットをかぶっている航空機パイロット、ロケット実験に用いられた猿かチンパンジーなどという諸説があるが、はっきりしないままである。
前述のとおり、UFO墜落事件の情報を公表したストリングフィールド本人が、写真に対しては「猿ではないのか?」とコメントしていることもあり、いまひとつ関連性ははっきりしない。
1948年頃にメキシコの国境付近に何かが墜落して、米軍によって回収されたという出来事はあってもおかしくない。ただしそれが宇宙人の乗ったUFOであったかどうかは別だ。
軍が事実を隠しているからといって、それは軍隊であるなら普通の秘密主義だろう。
参考資料
- ユニバース出版社・UFOと宇宙(1981年新年号No.66)
- NOUFORS(Northern Ontario UFO Research & Study)
- 学研・世界UFO大百科復刻版(ムー特別編集)
- 学研・宇宙人の謎(並木伸一郎)
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